おさかなコーディネータ ながさき一生 のおかしら付き

魚のこと、魚以外のこと、思ったこといろいろ書きます。

漁村的な親のスタンス

2018年のGWは、フリーランスとして迎え、休みとするかどうかは自分次第なので、あまり関係がなかったのですが、妻が仕事で子供の面倒を見てて欲しいというので、丸々1週間子供の面倒を見ることにしました。

 

あ、自分、1歳の息子がいます。

普段は東京に住んでいますが、実家が新潟の糸魚川市にある筒石という漁村で、GW中は、息子を連れてそちらに帰省していました。実家には、普段母が1人います。

 

自分は、東京での生活も15年程になるので、大分慣れてきましたが、漁村との環境の違いには驚かせられます。それは、単純にモノがある・ないとか、空気がいい・悪いという話ではなく、文化が違うというか、考え方が違うというか、世界が違うという感じです。同じ日本なのに国が違うのではないか、といつも思います。

とりわけ筒石は、昔ながらの漁村文化というか、気性が残っているところなので尚更感じるわけです。ちなみにこんなところ

 

そういった漁村に大きくあるものは人を思う心なのかなと思っています。

 

そんな漁村の空気みたいなものに触れてきた自分が、子供に対してすごく思うことは、「我が子」ではないということ。、、、というと変かもしれませんが、要するに子供を私物化しないということです。親とは、与えられた子供を預かって育つサポートをする役目を担っているものだと思っています。

 

昔の漁村は一家総出で仕事。子供であっても一戦力であり、みんなで家庭を作り上げてきたところがあったと思います。(これは漁村に限らないと思いますが)

なので、子供も一人間であり、そういう意味ではあまり子供として見られていなかったように思います。

 

それから自分がそういう人間だからなのかもしれませんが、「育てる」というのはちょっと違うようにも思っています。子供は勝手に育つと言いますがその通りで、人間は自身以外が自分自身を変えられませんし、育つ主体は本人にあると思います。親は単にそれをサポートするだけ。「育てる」の主体は親ですが、あくまでも主体は本人で、だから「育つ」をサポートする。「サポート」には、親に限らず周りの人たちの協力も必要です。

植物でも肥料を与えすぎるより、自然に育てた方が美味しくなるということを聞きます。子供に関しても、あくまでも、自然に、自然に。

 

最近の子育て情報みたいなものを見て、スタンスとしてどうかなと思う点もよくあるので書いてみました。

 

漁村の考え方みたいなものを伝えていきたいです。

このブログのタイトルについて

今更ながら、このブログ「おさかなコーディネータ ながさき一生のおかしら付き」のタイトルについて、「なんじゃこりゃ」と思われるかもしれませんが、一応意味について書いておきます。

 

といっても、そんなに深い理由もなく、単に私自身の「頭の中を書く」という意味で私の「お頭付き」ということを言っています。頭の中なので、魚のことに限らず色々なことを書きます。

 

「おさかなコーディネータ」ということをやっているので、魚が好きと思われがちなのですが、本当に好きなのはそれに関わる人だったりします。

 

自分のルーツを辿ると、漁師の家に生まれて、漁業で得た生計で育ったものですから、「今の自分は魚で出来ている」ということになります。ただ、魚をお金に変えて生計とするには、当然ながら人の存在があってこそです。だから、人が好き。

 

五種盛りより三種盛りを頼め」を読まれた方から、「愛に満ちてますねw」といった感想をいただくことが多いのですが、本に書かれていることは、ほぼ全てが魚に関わる人たちから教わったことです。もし、愛に満ちているという感想を持たれたとすると、それら魚に関わる人達の愛が読者にまで伝わったということなのだと思います。自分自身もその愛を感じて生きています。

 

なんだか、話題がどこかにいってしまいましたが、その魚と関わる人達からは、当然ながら魚以外のことも教わってきました。それらについても、役に立つことが多々あり、それを世に伝えたいと思っています。お伝えしたいことは、まだ私の頭の中にあります。

 

「おかしら付き」に表現していくことで、まずは気楽にそれらを出していければと思っています。

1%ひらめける人は天才

大型連休中に新潟の実家に1週間帰っていたもので、いろいろと昔のことを思い出しています。こんなことあったな、あんなことあったなとか、昔なりたかったものとか。

 

昔なりたかったものをツラツラと書くと、プロレスラー、マンガ家、ゲームのプランナー、作曲家、心理学者などなど。

 

この中で、ゲームのプランナーになりたかったのが、小学校高学年から中学生くらいまでの間で、この時に読んだ平林久和さん著の「ゲーム業界就職読本」という本の内容がやたらと頭に残っています。

 

どんな内容なのかをざっくり書くと、プランナーになるためにはアイディアをひらめける発想力を磨くことが大事で、そのためには、いつもと違う道を使ってみたり、幅広い色々な刺激を享受する習慣を見に付けておくとよいというものです。

また、当時(1995年頃)ゲーム業界に就職する人の8割に共通する点として、

・車を持っている(広い行動範囲を手に入れられる)

・海外に行ったことがある(様々な文化や発想に触れている)

・自宅にインターネットができる環境がある(今では当たり前ですが、当時はまだ多くない中、様々な情報に触れられる)

・セックスを経験している(異なる性別について理解を深めている)

を上げていました。

 

「新しいアイディアは、既存のモノの組み合わせで出来ている」なんてことはよく聞きますが、それであるなら、様々で異質なモノを頭の中に入れておくことがアイディアをひらめくためには必要なのだろうと思っています。

 

明王トーマス・エジソンの「天才とは、1%のひらめきと99%の努力だ」という言葉はあまりにも有名ですが、ここで大切なのは「99%の努力」の方ではなく、「1%のひらめき」の方だと思っています。(実際に本人もその意図で使った、という説もあるみたいです。)逆にいえば、「凡人とは、100%が努力」であり、1%もひらめけることって、相当すごくて、やっぱり天才なんだと思います。

 

自分は、今、おさかなコーディネータという仕事をしていますが、「魚を楽しくし、魚で世界を楽しくする」ためにも、1%のひらめきをいかにできるか、これが大事だなと思っています。

「継続は力なり」は継続しようとしてはダメ!

これの前に「努力」という言葉が好きではないと書きましたが、もう一つ好きではなかったのが「継続は力なり」という言葉です。一般的には、「継続すると力になる。だから、継続するように頑張ろう!」みたいなノリなんでしょうけど、どうもそういうのが得意ではありませんでして。

 

ただ、今はこの言葉の捉え方が変わってとても好きな言葉の1つとなりました。どういうことなのかと言うと、ここでいう「継続」は「継続しよう」という意味で言っているのではないと気がついたからです。

 

私は、現在、魚について伝える「おさかなコーディネータ」ということを生業にしていますが、なぜそれを生業にしたのかという理由の1つに「漁師の家で生まれて魚と接する時間が自然と多かった」という事があります。

 

私にとって魚と接してきたことは「継続しよう」と思ってやってきたことではありません。知らずの間に自然と「継続してしまっていたこと」でした。このような事は、自らにとって、とても力になるなと思うのです。

 

そもそも思うのですが、「継続できるように頑張ろう」と思ってしまうような事とは、心理的なハードルが高い事です。「しよう」と思わなければしないのですから、自分のエネルギーが十分に発揮できません。本当に力になることは「しよう」と思わなくてもやれてしまうことにあると思います。なぜならば、心理的なハードルがまったくなく楽に次々とやれてしまうからです。

 

つまり、「継続は力なり」とは「継続すると力になるから頑張ろう」という意味ではなく、「あなたにとって知らずのうちに継続していることは、あなたの力になっていますよ」ということなのです。

 

ただ、「継続していること」に気がつくのは結構難しいです。知らずに継続していることは、当たり前過ぎる空気のような存在だからです。言ってみれば、「継続していること」に気がつくことは、空気の存在に気がつくということに近いと思います。

 

これについて、ヒントになりかもと思ってるのが、ヒトは空気のない場所(例えば、水中)に行けば、その存在に気がつくということです。つまり、いつもと違う環境に自分を置いてみて「とてもしんどいな」と思ったらシメたものです。その時というのは、自分にとって当たり前に継続していることが欠けているからしんどいのかもしれません。私も、自分のやりたい事がまったくできない状況に幾度となく置かれて、魚が継続していることに気がつけたように思います。

 

もし仮に、今しんどい状況だとしても、それは「継続=力」に気がつけるチャンスかもしれません。継続しようとせず、継続していることに気がつく行動をすると少し楽に生きられる気がしてます。

続・努力は報われない

この記事の前に、自分の好きな言葉「努力は報われない」について書きました。

 

前回書いたことは、私自身がどう考えているかという話です。ただ、客観的には、報われると考えようが報われないと考えようが個々人の勝手で、「どう考えた方が自分にとって都合がよいか」につきるように思います。

 

ネット上でも検索をすると、報われる VS 報われないの話が結構出てきたりします。

それを少し眺めていると報われる派と報われない派には、ある程度の括りがあるように思います。

 

◎報われる派…アスリート、ビジネスマン(とりわけ営業職)などに多い

 

◎報われない派…芸人、芸術家などに多い

 

この傾向を見て、絶対的な指標がある仕事とない仕事によって、どう考えたらよいかが分かれるのではないかなと思いました。

 

アスリートやビジネスマンの場合、上の順位であったり、高い売上であったり、目指すところが明確です。こうなると、そのはっきりした目標に近づくように努力する事が大事なのは言うまでもないことです。

 

ところが、芸人や芸術家など、目指すところが不明確です。もちろん、コンクールなどもあるのでしょうが、芸人や芸術家が世間から認められるためには必ずしもそれらが必須というわけではありません。例えば、漫才のコンクールであるM-1グランプリで、優勝せず下位だとしても、その後に売れたというコンビは沢山いると思います。

 

これは、単純なモノサシ上の優劣ではなく、様々の価値観の中で価値を提供する職業だからだと思うのです。このような職業の場合、「努力は報われる」と思っているとやってられません。価値観は時代によっても変わるし、それらは外的要因は努力とは関係なく変化するので、「努力したのに報われなかった」「努力しなかったのに報われた」ということが、多く起きがちだと思います。このような世界で「努力が報われる」と思っていたらやる気がなくなってパフォーマンスが落ちてしまいます。

 

…ということで、「努力は報われない」の続きで書きましたが、「報われる」と考えるか「報われない」と考えるか、あるいはその時々によって考え方を変えるハイブリッドでいくのが良いか、人それぞれであると思います。

 

パフォーマンスを出したり、人生を充実されるために考え方ってとても大事だと思います。

努力は報われない

最近はそうでもないのかもしれませんが、勤勉な国、日本では昔から「努力」という言葉がとかく好まれるように思います。

 

ただ、自分は、「努力」という言葉が、かなり前から好きではありませんでした。

 

今回は、これがなぜなのかということを紐解いてみました。

 

おそらく、小学校低学年の時だったか、習字で優れていた人には「金賞」などの賞がもらえるのですが、これが貰えなかった人は一律「努力賞」となります。このイメージがものすごく強くて「努力賞」=「残念賞」の様なネガティブな印象がついてしまったのだと思います。「頑張ったけどダメだったね」が努力賞だったもので。。

 

それに、「努力」の「努」という文字が「奴(やっこ、下僕などの意味)の力」と書きますから、やっぱり何となくネガティブな気がします。

 

そもそも、「努力している」と感じている人は、本当に精一杯やっているのだろうか?なんてことを思います。というのは、本当に精一杯なときというのは、端から見ればそうなのですが、本人からしたらハマっていて、のめり込んでいて、まったく精一杯な感覚がないからです。これを「フロー状態」といったりしますが。

ちなみに、この「フロー状態」は、大好きです。何でかというと単純で、そのモードに入ると「とても気持ちがいいから」。しかも、成果が上がる、能力が急速に伸びやすいなど良いことづくめです。(危険な面もありますが^^;)

 

一方で自分が大事にしている考え方に「努力は報われない」があります。こう思ったのは、「習字の努力賞って報われないじゃん」と思ったのがキッカケかもしれません。

 

同じようなことを「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるさんや明石家さんまさんも言っていたようです。

 

結論から言うと、報われるかどうかを気にするような事は最初からしない方がいいのです。「報われなくても俺はコレをやる」ということに注力すべきで、そういうことの方が楽に力を発揮できます。

 

・そもそも、「奴の力」である辛い「努力」をせず、楽に力を出せる「フロー状態」を目指す

・辛い「努力」をするにしても報われるかどうかを気にするなら「しない」。報われなくてもいいやと思った時だけやる。

 

と考えると少し生きるのが楽になるような気がしてます。

ブログの趣旨を変えてみた

はてなブログの他でも、ブログをやっております。

 

メインで使っているのは、自サイトの

さかなプロダクション

 こちらは、個人のホームページ。どちらかというとto B向け。少し真面目な魚のことを書いています。

 

さかなの会

 こちらは、主宰する団体のホームページ。どちらかというとto C向け。ゆるく気楽に魚のことを書いています。

 

…と、この2つがある中、「はてなブログ」をどう使おうと思っていました。

色々と考えたのですが、魚のことは、上の2つに書くとして、こちらでは、魚のことも魚以外のことも、とにかく思ったこと、思っていることを色々と書いていこうと思います。

 

何はともあれ、楽しく気楽にやっていきますのでよろしくお願いします。