おさかなコーディネータ ながさき一生 のおかしら付き

魚のこと、魚以外のこと、思ったこといろいろ書きます。

「継続は力なり」は継続しようとしてはダメ!

これの前に「努力」という言葉が好きではないと書きましたが、もう一つ好きではなかったのが「継続は力なり」という言葉です。一般的には、「継続すると力になる。だから、継続するように頑張ろう!」みたいなノリなんでしょうけど、どうもそういうのが得意ではありませんでして。

 

ただ、今はこの言葉の捉え方が変わってとても好きな言葉の1つとなりました。どういうことなのかと言うと、ここでいう「継続」は「継続しよう」という意味で言っているのではないと気がついたからです。

 

私は、現在、魚について伝える「おさかなコーディネータ」ということを生業にしていますが、なぜそれを生業にしたのかという理由の1つに「漁師の家で生まれて魚と接する時間が自然と多かった」という事があります。

 

私にとって魚と接してきたことは「継続しよう」と思ってやってきたことではありません。知らずの間に自然と「継続してしまっていたこと」でした。このような事は、自らにとって、とても力になるなと思うのです。

 

そもそも思うのですが、「継続できるように頑張ろう」と思ってしまうような事とは、心理的なハードルが高い事です。「しよう」と思わなければしないのですから、自分のエネルギーが十分に発揮できません。本当に力になることは「しよう」と思わなくてもやれてしまうことにあると思います。なぜならば、心理的なハードルがまったくなく楽に次々とやれてしまうからです。

 

つまり、「継続は力なり」とは「継続すると力になるから頑張ろう」という意味ではなく、「あなたにとって知らずのうちに継続していることは、あなたの力になっていますよ」ということなのです。

 

ただ、「継続していること」に気がつくのは結構難しいです。知らずに継続していることは、当たり前過ぎる空気のような存在だからです。言ってみれば、「継続していること」に気がつくことは、空気の存在に気がつくということに近いと思います。

 

これについて、ヒントになりかもと思ってるのが、ヒトは空気のない場所(例えば、水中)に行けば、その存在に気がつくということです。つまり、いつもと違う環境に自分を置いてみて「とてもしんどいな」と思ったらシメたものです。その時というのは、自分にとって当たり前に継続していることが欠けているからしんどいのかもしれません。私も、自分のやりたい事がまったくできない状況に幾度となく置かれて、魚が継続していることに気がつけたように思います。

 

もし仮に、今しんどい状況だとしても、それは「継続=力」に気がつけるチャンスかもしれません。継続しようとせず、継続していることに気がつく行動をすると少し楽に生きられる気がしてます。